「すべての民の御母」ご出現の概要

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「すべての民の御母」のご出現の概要です。

出来事の始まり

イーダ・ペアデマン1945年3月25日、「白い衣に身を包んだ女性」がアムステルダムに住むイーダ・ペアデマンに現れ、第2次大戦がオランダで終結する正確な期日、つまりその年の5月5日を予告しました。その後15年間にわたって聖母は、彼女にメッセージを伝えられました(中には、第2バチカン公会議の開催、ベルリンの壁、冷戦体制における化学兵器の製造など、政治的・歴史的出来事の予告もあります)。 聖母はご自分を「すべての民の母」として紹介され、さまざまな霊的話題を導入しては、年月をかけてその内容を詳しく示されました。

聖母の御絵

すべての民の御母すべての民の母の油絵像は、イーダの自宅に造った礼拝堂の祭壇横にかけられています。(注・イーダの指導司祭はドミニコ会士でしたが、聖母は絵の保管をドミニコ会にゆだねました。また、「すべての民の母の絵」をもとに、日本人彫刻家が有名な秋田の聖母像を作りました)その絵は、聖母が救い主の十字架の前に立たれた姿で現れたときのビジョンを再現したものです。聖母は地球の上に立たれ、その周りには世界の人びとを表す夥しい数の黒や白の羊がいました。聖母は十字架の前に立ち、自い服を着ておられ、黒髪はゆったりと肩の上にかかっていました。それは御子の十字架に、分かちがたく、その痛みの内に一致されながら、十字架からあふれる恵みを仲介しておられる聖母の姿です。

すべての民の母の祈り

聖母マリアは、御子とすべての苦しみを共にされ、十字架の前に立たれています。そのお姿で上記の祈りを口述されたのです。

聖母は、この絵あるいは十字架の前で「すべての民の母の祈り」を毎日唱える人に恵み、贖罪、平和(聖母の開かれた手から注がれる3つの光)を約束されました。(忙しい現代人のために短い祈りです、と聖母は言われました!)この祈りを与えられたとき、祈りに中にある「かつてマリアであられた」という言葉に、イーダは驚いて「あなたは今も、これからもずっとマリアであられます!」と言いました。

聖母はこの言葉に微笑まれ、説明されました。
「多くの人びとは、マリアをただマリアとしてしか知りませんでした。しかし、今、これから始まるこの新しい時代には、私はすべての民の母でありたいのです。だれでもこのことを理解するでしょう。」
これは、ナザレの謙遜な少女の上に偉大なことを行われた神のわざを強調するため、またカトリック以外の人びとを含むこととも解釈できるのではないでしょうか。

マリアに関する最終の教義

1958年のメッセージで聖母は、ご自分の役割が、マリアに関する最終のものとして 宣言される教義の内にまとめられるであろう、と説明されました。その教義は、神のご計画の初めから、マリアは「共贖者、仲介者、執りなし手」であった、と宣言するものです。

この宣言の大胆さのために、「教会は混乱の中に入る」と聖母は示されました。教義は「激しい反対にあう」と聖母は言われています。そして、多くの人がこれを受け入れられず教会を去るとも言われています。50回目の出現の際に、聖母は彼女に、「共贖者、仲介者、執りなし手は、ふさわしく宣言されたその称号を」、5月31日(年は不詳)に、「すべての民の母として受けるでしょう」と言われました。(注・5月31日は御訪問の祝日であり聖母が聖エリザベトのあいさつを受け、聖霊に満たされて、「いつの代の人も私を幸いな者と呼ぶでしょう」と、マグニフィカトを歌われたことを記念する日です)

そして、この教義はマリアに関する最終のもので、これが宣言されて後、初めてまことの平和が世界を訪れる、とすべての民の母は言われています。
「それがかなえられれば、すべての民の婦人は世界に平和を、まことの平和を与えることができます」(1955年5月31日、51回目の出現の時)
この教義の宣言を求めて世界中で署名運動が行われています。署名をした人びとの中には、マザー・テレサ、パリの司教、ニューヨークの司教などもいます。

一昨年(1997年)にバチカンで開かれたマリアに関する会議において、まだ十分論議されていないなどの理由で、これらのマリアの役割を公式に宣言することは否決されましたが、そのすぐ後のカテキズムの説教で、教皇は「共贖者、恵みの仲介者、執りなし手」としてのマリアの役割について解説を行っておられます。

ご聖体の町・アムステルダム

アムステルダムのメッセージで、聖母は、ご聖体に立ち返ることを強調されました。ご聖体は「概念」ではなくキリスト御自身であり、「永遠の命の前味わい」である「日々の奇跡」と言われました。またアムステルダムが、「すべての民の母」の御絵の置かれる場所として特別に選ばれたのは、そこが「ご聖体の町」、すなわち幾世紀を通して荘厳な祭儀や行列によって祝われてきた、ご聖体の奇跡のふるさとであるから、と説明されました(「アムステルダムのご聖体の奇跡」参照)。ご聖体を通して、世界はその破滅から救われます。1959年5月31日の最後の出現の終わりに、聖母がイーダに「さようなら(神のうちに会いましょう)」と別れの言葉をおっしやる前に、次のように言う声が聞こえました。「私を食ベ、私を飲む者は、永遠の命を得、まことの霊を受ける」ご聖体におけるイエスの語られる声だったのです。
イーダ・ペアデマンは1996年6月17日、91歳で天に召されました。祈りについての公式認可(「司教メッセージ(称号についての公的崇敬の許可)」参照)というよい知らせを受けて、15日ほど後のことでした。

教会認可が下りる

2002年5月31日、ついに喜ばしい知らせが世界を駆け巡りました。ご出現のあったオランダ・ハーレム教区のヨゼフ・マリア・プント司教が、司教通達(「司教通達(ご出現の教会認可)」参照)を出してこの「すべての民の御母」の私的啓示が、真に神からのものであると認めたのです。この教会認可に力づけられて、より多くの人びとが「すべての民の御母」のもとに集い、御母の助けを通じて神へと導かれてゆくことを願ってやみません。
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