「すべての民の婦人、マリア」は、私たちを堕落、災害、戦争に満ちた時代から、恵み、救い、平和の時代へと導かれる

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パウロ神父様2002年ドイツ祈りの日(ケルン)において行われたパウロ神父様の講話です。講話で使用されたスライド写真のうち、いくつかを掲載しますので、合わせてご覧下さい。

(スライドすべてではありません。またスライド番号にいくつか欠番があります。ご了承下さい)

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2002年6月8日、大変喜ばしいニュースが世界を駆け巡りました。ハーレム・アムステルダム教区の司教であるヨゼフ・マリア・プント師が5月31日にアムステルダムのメッセージが超自然的なものに由来することを認める文書を発表されたのです(司教通達(ご出現の教会認可))。このことによって、プント司教はご自分が「すべての民の婦人の司教」であることを、いま一度示されました。プント司教が公認の文書を発表して下さったことに私たちはとても感謝しております。また、世界中のマリアを敬愛する司教、司祭、信者の方がたも同じ気持ちであると思います。

<<アムステルダムのメッセージの緊急性>>

皆さん、今日の講話ではご出現そのものには触れません。皆さんの大半は過去5回の「祈りの日」を通して、ご出現については既によくご存知だからです。今日の講話の目的はむしろ、劇的な様相を示しつつある世界情勢に鑑みて、この時代にとってアムステルダムのメッセージがこれまでとは比べものにならないほど緊急に必要であることを皆さんに明らかすることにあります。

メッセージに現れる「すべての民の婦人」の切実な願いのいくつかを皆さんの前で繰り返すことは、司祭として私の果たすべき義務であると考えます。そして聖母の願いを叶え、新しい世界の構築に協力することができるために、私たちもカトリック教徒として、各々の日常生活をもう一度初めから見直さなければならないのです。

その時、もっとも重要なのは、私たち自身の回心です。

私たちが回心することによってのみ、私たち皆が肌で感じている堕落の脅威をくい止めることができるのです。すでに50年前に御母(写真1)は私たちに次のように願われました。

「この不安に満ちた時代に与えることが許されている私の言葉に耳を傾けなさい! ……この時代がどれほど深刻でありどれほど困難であるか、あなたがたは知らないのです」(1952年12月8日)

「将来何が起こるか、あなたは知りません」(1951年4月15日)

「サタンがいかに権力をもって支配するか、神だけがご存知です」(1955年5月31日)

「サタンのくびきの下ですべての民族はうめいています」(1951年12月31日)

「すべての民よ、私はあなたがたに懇願します。……よく聞くようにと婦人はあなたがたに請い願っています! 神の母があなたがたに懇願したことはかつてありませんでした」(1955年5月31日)

マリアは既に50年も前にこのように私たちに呼びかけられたのです。御母のこれらの言葉は、今の時代に見事に当てはまるではありませんか! たったこの1年の間に、世界と教会の状況がどれほど悪化したかを考えてみさえすれば十分でしょう。正直に言って、1年前、この祈りの日のために集った私たちの中で、誰が9月11日のニューヨーク世界貿易センターのテロ攻撃(写真2)を予想できたでしょうか? それはかつて例を見ない残忍な宣戦布告でした。あの事件によって終わりの見えないテロ戦争が始まったのです。

御子の誕生(写真3)によって天から世界平和が告げ知らされたベツレヘム、よりにもよってそのベツレヘムが堕落と戦争の場所に変わってしまう(写真4)などと、1年前にいったい誰に予想できたでしょう。エルサレムで最近起こった2つのテロ攻撃のあと、イスラエルの危機は新たな緊迫状態を迎えました。

教会のモラルの退廃に関する深刻な問題で協議するために、教皇様が合衆国の13名の枢機卿全員をローマまで公式に呼び寄せる(写真5)などと、1年前にいったい誰に予想することができたでしょう。全世界から100局以上ものテレビ局がバチカンを訪れ、この会議は、言ってみるならば、回っているカメラの前で行われたのです。

その間、合衆国の教会は予想外の規模の悲劇に見舞われていました。200名以上の司祭が解任され、4名の司教が引退したのです。

パキスタンとインドの2つの核保有国が、突然100万人もの兵士を国境に集結させるなどと、1年前にいったい誰に予想することができたでしょう。メディアは少し前に「15隻のインドの軍艦が退去したにもかかわらず、戦争の危機は未だに去っていない。警報解除どころの話ではない」と報じています。

先週のイギリスの日刊誌「ウォールストリート・ジャーナル」に、カラチのアメリカ大使館に対するテロ行為の報復として、ブッシュ大統領はイラク攻撃(写真6)の新たな可能性について考えていると掲載されていました。イラクはヨーロッパと全世界にとって壊滅的な意味を持つABC兵器(atmare核、bakteriologische細菌、chemische化学兵器)と呼ばれる大破壊兵器を生産しています(写真7)。皆さん、どう思いますか? 計画された攻撃をイラクは何もしないで傍観しているでしょうか?

ドイツの外務相ヨシカ・フィッシャー氏は先日「ドイツ国内におけるテロ攻撃の可能性が去ったわけではない」と話しています。

ドイツのメディアは旅客機に対するテロ攻撃(写真8)が計画されていたことを報じています。連邦情報局は、アルカイダ構成員が近東で取り交わした無線通信を傍受しています。それによると、過激イスラム原理主義者は、フランクフルト、あるいはドイツ国内の他の空港で、飛行機の離陸時もしくは、着陸時に攻撃する計画を立てていたのです。その際、彼らは爆薬を詰めた模型飛行機を使うつもりでした。あなたがたはこういうことを一年前に考えることができたでしょうか?

同時期、ドイツの週刊新聞誌「Welt am Sonntag」にヨーロッパの専門家たちによる記事も掲載されました。そこには細菌を使用したテロについての警告が発せられ(写真9)、「いたずらにパニックを起こそうとして、細菌による攻撃から生じる結果について報じているのでない」ことが明記されています。

<<堕落、災害、戦争に対して効力のある祈り>>

世界で今起こっているこのような憂慮すべき事実を、私は意図的にこの講話の最初にもって来ました。なぜなら、ちょうどこのような惨事から私たちを守るために、聖母は第2次世界大戦中にアムステルダムで出現されたからです。

当時のヨーロッパは壊滅状態にあり、ローマの南にあり世界中で最も美しかったベネディクト修道院「モンテ・カシノ」(写真10)は廃墟と化しました(写真11)。そしてケルンの町が今皆さんが見ているような有様(写真12)となった1945年、広島と長崎に原子爆弾が投下される少し前に、聖母は「すべての民の御母」という新しい称号のもとに出現されたのです。聖母は私たちに新しいご絵と新しい祈りをお与えになり、こう言われました。

「この祈りは、世界の救済のために与えられました。この祈りは、世界の回心のために与えられました。この世界の人びとは、世界が堕落と災害と戦争から守られるように、執りなし手としての『かつてマリアであったすべての民の婦人』に願うことを学ばねばなりません」(1951年12月31日)

「婦人」のこの約束は、世界的大惨事からの救済について婦人が語られた時、予期せぬ飛躍を見せます。1953年5月10日、イーダは次の言葉を与えられました。

「すべての民の母は、主であり創造主であられる方によって、この称号のもと、この祈りを通して、世界をある大規模な惨事から解き放つために世界に遣わされました。……この祈りによって婦人は世界を救うでしょう。私はこの約束をもう一度繰り返します」(1953年5月10日)

<<ファティマ第3の秘密>>

さて、婦人であり御母である聖母は、一体どのような世界的惨事から聖母の子供である私たちを守ろうとなさっているのでしょうか。それを理解するためには、皆さんをファティマへとお連れしなければなりません。

写真14
写真14

御母は、1917年、読み書きの教育すら受けていない3人の羊飼いの子供たちに出現され(写真14)、教会と世界にとって、比類ないほど重要なあるメッセージを打ち明けられました。このいわゆる「ファティマ第3の秘密」と呼ばれているものの中に、聖母の言われる世界的大惨事のことが語られていると私は確信しています。なぜならば、「第3の秘密」の中には、天から降る破壊的な火によって世界が脅かされること、教皇様が殺され、教皇様と共に、司教、司祭、修道者、様々な階級の男女も殺されることなどが書かれているからです。

この深刻な内容のために、この秘密は長い間公にされませんでした。教皇ヨハネ・パウロ2世は、大聖年の2000年に「今、時が満ちた」という意味深長なコメントを添えて、初めてこの沈黙の封印を破りました。私は、信頼している友人の司祭から、ドイツでの祈りの日にファティマ第3の秘密について今回は話さないようにという忠告を受けたのですが、私はこのように答えました。「世界と教会が大きな苦難に見舞われている今、今年も再度それについて話すことは、私の司祭としての義務だと思うのです。しかも、それについて聞いたことのない信者たちがまだ大勢います。教皇様が2年前に既に秘密を公にする時が満ちたとおっしゃっているのに、私が沈黙していてはならないと思うのです。もしそうするなら、それは私にとって、信者を裏切るに等しいことです」

たとえ人類に大きな苦難を予告するものであったとしても、教会認可がある真実の預言について、今を無難に過ごすために沈黙したり、大したものではないと過小評価したりしてはならないのです! なぜなら すべての苦難を予告する預言は、――聖書中のものも真実の私的啓示のものも――唯一、その苦難を阻止するという目的のために神によって与えられるからです。ニネベの町は、回心によって告げられた破壊を免れました。これは聖書にある最も輝かしい例のひとつです。

<<汚れなき聖母の御心への奉献>>

私たちの教皇様、ヨハネ・パウロ2世もまた、1981年5月13日に起こった暗殺未遂事件(写真15)によって、初めてファティマのメッセージの重要性に注意を向けられました。

死を免れた教皇様は、まだ入院中のジェメリ病院のベットの中から「第3の秘密」のテキストを持って来るようにと願われました(写真16)。ポルトガル語で書かれたオリジナルとイタリア語に訳されものが7月18日に教皇様に届けられました。皆さんが今スライドで見ていらっしゃるのが、シスター・ルチアが手書きしたオリジナルのテキストです(写真17)。そのテキストをお読みになった教皇様は、神の御旨を正確に行うことがいかに重要であるかを理解なさいました。ですから、できる限り早く全世界のすべての司教と一致して世界を聖母の汚れなき御心に奉献することをお決めになったのです。

この奉献(写真18)は暗殺未遂事件から3年後の1984年3月25日に行なわれました。そして、2000年10月8日、世界中から集まった1500名の司教、80名の枢機卿たちと共に、教皇様は大聖年の記念行事の一環として奉献を新たにされました(写真19)。

この大聖年のクライマックスともいえる奉献の儀式のために、教皇様はファティマからオリジナルの聖母の御像を再びペトロ広場にお招きになりました(写真20)。このファティマの聖母のご像は冠を戴いていますが、そこには教皇様を狙撃した弾丸がはんだ付けされています。また、聖母の御手にかけられている繊細な鎖(写真21)には、2000年5月13日に教皇ヨハネ・パウロ2世が聖母に贈られた司教の指輪が通されています。

世界的規模で奉献が新たにされたということは、3千年期の初めに人類を完全にマリアのご保護に委ねることが絶対に必要であると教皇様が考えられていることを、はっきり示しているのではないでしょうか?

つまり、司牧上の配慮ゆえに(写真22)、教皇様は、あれほど長い間秘密にされてきたテキストを、新しい世紀の始めにすべての民族に発表する決意をなさったのです。

<<ファティマ第3の秘密のオリジナルテキスト>>

「ファティマ第3の秘密」と呼ばれているものの内容を知ることを、信者達は何十年もの間待ち望んでいました。

ここで、シスター・ルチアが彼女の司教と私たちの教皇様に書いた言葉に注意を向けてみましょう。(訳者注:このテキストの中でシスター・ルチアは聖母を「私たちの愛する婦人」と呼んでいますが、分かり易くするためにここでは「聖母」としました。)

<<私たちは聖母の左側、少し上の方に1位の天使を見ました。天使は左手に火の剣を持っていました。剣からは火花が飛び散り、剣から出る炎はあたかも世界に点火されるためのもののようでした。しかしその炎は、聖母が天使に向かって差し出された右手から発せられる輝きに触れると消えてしまいました。 天使は右手で地球を示し、「償い、償い、償い!」と大声で叫びました。 そして、神であられる壮大な光の中に、「人が通り過ぎる時、鏡に映って見えるような感じ」で白い衣を着た司教――この方が教皇様であることが私たちには分かりました――が、他の司教、司祭、修道士、修道女たちと一緒に険しい山を登って行くのが見えました。その山の頂上には、まだ樹皮がついているコルク樫の木のような、荒削りの丸太でできた大きな十字架が立っていました。 そこへたどり着く前に、教皇様は半ば震えるような足取りで、よろめきながら半分廃墟と化した大きな町を通り過ぎられました。教皇様は苦しみと心痛に押しつぶされながら、道で出会う死体の霊魂のために祈りつつ歩まれました。 山頂に着くと、教皇様は大きな十字架の下に跪かれました。そこで教皇様は、一団の兵士たちが放った何発もの銃弾と矢によって殺されました。同じように、司教や司祭方、修道者達、様々な立場や階級の信徒たちが男性も女性も次々と死んでいきました>>

教皇様がよろめきながら、震えながら、半ば廃墟と化した町を通り抜けていくということに気づきましたか? よろめきながら、震えながら……。そのように今の教皇様は歩いていらっしゃいます(写真23)。

<<ファティマ第3の秘密はまだ成就していない>>

「ファティマの第3の秘密」の中で言われている教皇殺害の預言は、1981年5月13日のペトロ広場での暗殺未遂事件によって既に成就したという意見が繰り返し聞かれます。しかし、この見方は事の重要性を不当に軽視しています。もし、「ファティマ第3の秘密」の内容がすでに成就したのであれば、なぜ教皇様は秘密を公開する必要があるとお思いになったのでしょう。また、なぜ、「時が満ちたと思われましたので、私はファティマの秘密の第3部と言われているものの内容を公開することが相応しいと判断しました」(2000年5月17日水曜日の一般謁見)とおっしゃったのでしょう。

このことに関して、海上大戦争の場面の中に、教会の大いなる迫害を見た聖ドン・ボスコの夢(写真25)を忘れてはなりません。聖ドン・ボスコは次のように書いています。

<<突然、敵の銃弾が教皇に命中した。教皇を助ける者たちは彼の身体を支え、もう一度教皇を起こし、立たせた。さほど時間をおかず、また新たな敵の銃弾が教皇に当たり、彼は床に倒れて亡くなった>>

ドン・ボスコはこの予言的な夢の中で、教皇様が2度狙撃されるのを見ています。教皇様は1度目は命を取り留めましたが、2度目の狙撃で「床に倒れて亡くなった」のです。

このヴィジョンに照らしてみると、1981年5月13日の暗殺未遂が、「ファティマ第3の秘密」で言われている教皇暗殺と決して同一視できないのは明らかです。

ちなみに、ラッツィンガー枢機卿もこのことをパウロ・マリア・ニリッツア司教に確証しています。(訳注:ニリッツア司教:ローマ在住のスロヴァキアの司教。共産主義による迫害を受け、ファティマのメッセージの専門家として知られている)

ニリッツア司教が1通の手紙によって、ファティマの苦難の預言を人々があまりにも早急に過去のことにしてしまうという懸念を伝えた時、ラッツィンガー枢機卿は次のような返事をお書きになりました。

「私が書いた『解説』の中で、秘密の内容をただ表面的に過去の出来事としてとらえるつもりは私には決してありませんでした」

<<共贖者の貫かれ、光り輝いている御手>>

ファティマ第3の秘密を良く読むと、燃える剣の火花や炎が、輝きによって鎮火されるのですが、その輝きがマリアの右の手から出ていることに気づきます。

聖母の御手から放たれる輝きが、なぜ人類を大惨事から守るほど大きな威力をもっているか、ということを説明するには、アムステルダムの「すべての民の御母」のご絵を見ていただければ充分でしょう(写真27)。なぜなら、まさに聖母はアムステルダムにおいて神秘的に聖痕を受けた御手をもって出現され、しかもその傷痕からは「恵み・救い・平和」を表す3本の輝かしい光線が放たれ、地球と羊たちに上に注いでいるからです(写真28)。

また、現教皇様も、共贖者としてのマリアの受難について繰り返し言及され、マリアがキリストの犠牲と完全に結ばれ、磔刑に処せられたキリストとすべての痛みを分かちあった、とお話しになっています。

共贖者の苦しみに関するこの神学的真理を、神は秋田において証明なさいました。秋田には「日本版すべての民の御母」がいらっしゃいます。なぜそう呼ぶかといいますと、秋田のその修道院のお聖堂にあるマリア像は、アムステルダムのご絵を忠実に模したものだからです(写真29)。

このご像の右の手からは血が流れ、また目からは101回に渡り涙が流れました(写真30・31)。落涙を何度も目撃された伊藤司教は、この出来事が超自然的なものに由来すると認められました。

この秋田の「すべての民の御母」の血を流された右手は、私たちの信仰における決定的な真理を大変明白に示しています。その真理とはつまり、愛によって貫かれた御手を持つ共贖者だけが、保護者、執り成し手として、民族を世界的大惨事から守る力を持ち、愛によって貫かれた御手を持つ共贖者だけが、仲介者として「恵み・救い・平和」を分け与えることができるということです。

写真28
写真28

<<秋田―アムステルダム 内容に関する関連性>>

当時の新潟教区長の伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実のものであることを証明するものであると確信されていました。そのため、1988年6月24日、伊藤司教はアムステルダムの小さな「ご出現のチャペル」を訪問され、そこでラテン語と日本語によるミサを捧げられたのです(写真32)。そのミサには幻視者のイーダ・ペアデマンも与りました(写真33)。

続いて、伊藤司教は、公認された秋田の超自然的な出来事を通して、天はアムステルダムのご出現の真実性を保証することをお望みであるという、ご自身の深い確信を言葉にされました。

そのことを、伊藤司教の親友であり、バチカンのフィリピン前大使ハワード・ディ氏は、1998年に行なわれた「第2回国際祈りの日」(アムステルダム)で次のように証言しています。

「伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと確信しておられました。そして司教さまは、聖母の『共贖者・仲介者・執りなし手』という称号を確固と擁護なさいました。もしアムステルダムのメッセージが本物でなかったとしたならば、天は秋田での奇跡を容認しなかったでしょう。なぜなら、涙を流し、血を流した秋田の聖母のご像は『すべての民の御母』を模したものだからです」
(この証言の全文はこちら >> 「1人の信者の証言」ファティマ-アムステルダム-秋田

秋田において、聖母は心を打つメッセージをも世界中の人びとにお与えになりました。今皆さんがお聞きになったように、秋田のご像はアムステルダムのご絵を忠実に模したものであるのですから、世界平和にとって非常に重要な「秋田の聖母」の言葉を、聖母を称えての祈りの日である今日、皆さんにお聞かせしないわけにはまいりません。

<<真実のメッセージについて口を閉ざしていてはならない>>

教会認可のあるこの秋田の厳しいメッセージを聞く前に、私はもう一度ある重要なことについて説明したいと思います。
今年、ヨゼフ・マリア・プント司教はアムステルダムのメッセージに教会認可をお与えになりましたが、このように、教会があるメッセージについて、それが超自然的なものに由来すること、つまり、その真実性を認めた場合、それは、そのメッセージは神がお与えになったものであり、ゆえに真実であるということを意味します。

そして、メッセージが真実のものならば、私たちは口を閉ざしていてはならないのです! もし私たちがメッセージについて沈黙したり、取るに足らないものとして扱うなら、メッセージの悲惨な内容が阻止されなかった場合、その責任を私たちも負うことになるのです。なぜなら、啓示はその内容が阻止されるためにこそ与えられるからです!

私たちの神は、ただただ愛と慈しみの方です。そしてそのような尽きることのない愛である御父が、恐ろしい惨事を啓示なさるのは、御父の子供である私たちに恐怖を与えるためではありません。そうではなく、むしろ、その啓示によってサタンがもたらそうとしている惨事を防ぎ、私たちを守ろうとされているのです。しかし、いかにして啓示された惨事を防ぐことができるのでしょうか? 実にそれは私たちの回心によってのみ可能なのです!

<<私たちの罪はサタンに力を与え、私たちの回心はサタンに勝つ>>

しかし、いったい誰がサタンに災害と戦争を民族にもたらす力を与えるのでしょうか? 決して、神がサタンにその力を与えられるのではありません。「すべての民の御母」は私たちの罪にまみれた生活を「堕落」と呼んでいますが、この堕落、道徳的退廃によって、私たち自身がサタンに力を与えるのです。

「堕落から災害が生じます。堕落から戦争が起こるのです。これら全てのことから世界が守られるように、あなたたちはわたしの祈りを通して請い願わなければなりません」(1955年5月31日)

次の例は堕落と災害の関係をはっきりと示しています。エルフルト(ドイツの地名)の殺人者ロベルト(写真37)、ドイツで彼のことを知らない人はいません。彼の写真は世界中に広まりました。彼は20分以内に16人もの人間を殺したのです。被害者のうちの12人は教師でしたが、彼は生徒たちの目の前でその冷血に計画した殺人を実行したのです。

しかし、ロベルトにもこのように可愛い子供時代があったと(写真38)、皆さん思われませんか? いったい何が彼を破壊し、内面を荒廃させて、このような災いをもたらさせるに至ったのでしょう? それは、現代社会の道徳的退廃です。それについて私がこれ以上説明する必要はないでしょう。

悔い改めず、告解しない私たちの罪、これらによって私たちはサタンに力を与えるのです。

そしてサタンはこの力を可能な限り私たちを害する目的で使用します。サタンは私たちに対する非常な憎悪から、私たちから得た力を、他の人に悪魔的な考えを吹き込むことに使うのです(写真39)。少数のキリスト信者しかこのことを知りません! わずかな人びとしかこのことについて考えないのです! ですから、回心は本当に重要です! なぜなら、私たちの回心だけがサタンからこの力を奪い、災害を阻止することができるからです。

<<ニュースアナウンサーと神の預言者の違い>>

ここで、私の考えと意図を正しく理解していただくために、差し迫った惨事を防止するにあたって、ニュースアナウンサーと神の預言者とのはっきりした違いを示したいと思います。

アナウンサーはメディアを通して毎日私たちに、犯罪、災害、戦争について、つまりもう起こってしまった、変えようのない災いについて客観的に伝えます。

それに対して神の預言者は、前もって堕落、災害、戦争について私たちに教え、警告します。
しかも預言者たちは、神の名において、どのようにしたらその惨事を阻止できるかというはっきりとした具体的な道を示します。この2者の違いを理解していただくために、2つの具体例を示しましょう。

この写真は、アメリカ大統領ジョージ・ブッシュ氏がフロリダのある学校を訪れている時に、世界貿易センターの攻撃について知らせを受けた時の瞬間ですが、彼が強い衝撃を受けているのが見て取れます(写真40)。

知らされた時には、すでに大惨事は起こってしまいましたので、彼にできることは痛みと屈辱を感じることだけでした。また、その惨事の当事者たちにとっては、ただ、戦慄、パニック、絶望以外の何ものでもありませんでした!(写真42)
しかし、実は神はこのような苦しみをいつも阻止なさりたいのです!

これは、オランダの幻視者イーダ・ペアデマン(写真44)ですが、彼女は疑いもなく20世紀におけるもっとも偉大な預言者の1人です。彼女は何十年もの間、天からのメッセージを受けていました。そのメッセージは「婦人」の名において、民族に「堕落、災害、戦争」を警告し、人びとに「恵み、救い、平和」の時代へ入る道を示すためのものでした。

これは、イーダがイラクにおける砂漠戦争のヴィジョンについて説明しているところです(写真45)。彼女はこのヴィジョンを第2次世界大戦後すぐに与えられました。その時彼女は、後の時代に起る、恐ろしい大惨事のもとになる新しいとても奇妙な戦争(写真46)を見たのです。(訳者注:イーダはミサイルなど最新兵器を知らなかったので、自分の見たものを表現するために「奇妙な戦争」という言い方をしました)

しかし、これらすべては、もし私たちが神に立ち帰るならば、完全に阻止され得るのです。

神が私たちを助けるために与えてくださった預言者に耳を貸すことがいかに大切か、ファティマのシスター・ルチアの例を見てみましょう。教皇様がたがシスター・ルチアをポルトガルまで訪ね、現教皇ヨハネ・パウロ2世も2度もコインブラのカルメル修道院まで訪問するほど(写真47)、この幻視者は重要なのです。それは儀礼上の訪問ではありませんでした! ルチアとの会見で教皇様は聖母のお望みをよりよく理解しようと思われました。人類が自滅から守られるために、聖母は何を教皇様ご自身に、そして人類にお望みになるかということを理解しようと思われたのです。

今始まったこの新しい千年紀にとって、オランダの幻視者イーダが預言者として、ファティマのシスター・ルチアと並ぶほど、重要な意味を持っていることが将来証明されるでしょう。

<<秋田のメッセージ>>

預言について正しく理解することができた私たちは、今、伊藤司教が書簡の中で公開している秋田のメッセージの厳しい言葉を聴く心の準備ができたと思います。

では、ファティマ第3の秘密と明らかに平行する部分に気を付けながら聞いて下さい。

「愛する娘よ、…………
前にも伝えたように、もし人びとが悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。その時御父は、大洪水より重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人が死ぬでしょう。善い人も悪い人と共に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。生き残った人びとは死んだ人びとを羨むほどの苦難があるでしょう。

その時、私たちに残る武器はロザリオ(写真48)と御子の残されたしるし(写真49)だけです。毎日、ロザリオの祈りを唱えて下さい。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈って下さい。悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。私を敬う司祭は同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、御父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることが、私の悲しみです…………」

伊藤司教(写真50)は20年前にこのメッセージをローマのラッツィンガー枢機卿に提出しました。

ラッツィンガー枢機卿はその時すでにファティマの第3の秘密について知っていました。枢機卿は秋田のメッセージを読んだ時、伊藤司教にこのように言っています。「ファティマと秋田のこの2つのメッセージは、基本的に同じものです」

さあ、これで、なぜ教皇様が2000年10月8日に世界を聖母の汚れなき御心に奉献されたのかを、私たちはもっと理解できたのではないでしょうか!

<<償いをしなさい!>>

ファティマ第3の秘密の中で、天使が火の剣を持ち、「償い!償い!償い!」と3度叫んだことを、皆さんは覚えていらっしゃるでしょう。

アムステルダムにおいても、最後のメッセージで、婦人は人びとへの最後の願いとして、あたかも遺言のように「償いをしなさい! 贖罪をしなさい!」(1959年5月31日)と、言われました。

ですから「償いをする」ということが、今の時代、自分自身にとってまったく個人的に何を意味するかを共に考えてみようではありませんか。なぜなら、「償い」こそが、すべての人びとを聖母が「恵み・救い・平和」の時代に導いて下さるために、私たちが具体的にできる貢献なのですから。

「償い」という言葉の裏には、実は「喜ばしい現実」が隠されています。罪人として――私たちの皆が罪人ですが――神のいつくしみを注いでいただけるように、神に心を向けることはは(写真51)、幸せなことではありませんか?

神へ心を向ける最も自然な方法は祈りです。毎日、各自がそれぞれのやり方で忠実に祈りを続けるという決意は、疑いなく確実な回心の表れです。毎日忠実に祈るということは(写真52)、時として負担になります。皆さんも経験があることでしょう。仕事を終えた後、更に夜祈るというのは大変難しいものです。片付けなければならない100件もの大事な用事が頭に浮かびます。できることなら、リラックスして映画の1本も見たいという気持ちにもなります。これは私たち司祭にとっても同じことです。

ここで、ロザリオの祈り(写真53)の美しさとその効力を皆さんに思い出していただきたいと思います。聖母はこの祈りについて、秋田でだけではなく、ファティマやアムステルダムでも話していらっしゃいます。

特別に心を自由に、幸福にする償いの形は、私たちカトリック教徒にとって、もちろんゆるしの秘跡・告解です(写真54)。心からの後悔の気持ちをもってゆるしの秘跡を受ける人は、告解がどれ程の内面的喜びと結びついていることかを体験するでしょう。私は皆さん全員が、良い告解をした時に霊魂を満たす、他のものとは比べようのない幸福を味わわれることを願っています。

カトリック信者でないため、告解をすることができない人びとでも、心の中でゆるしを請うことができます。そして神は彼らをおゆるしになるでしょう。またそういう人びとにも「すべての民の御母」のこの言葉が当てはまります。

「手で自分の目を被い、内省しなさい」(写真55)(1948年3月28日)

「まず、主に戻りなさい。そうしてこそまことの平和が訪れるのです」(1946年3月29日)

償いの最も崇高であり、神的で有効な方法は、何といっても愛を込めてご聖体を拝領することです。なぜならご聖体において私たちは私たちの主であり神である方、十字架につけられ復活し、その贖罪の生贄が限りない価値を持つ私たちの救い主と一致するのですから。

清い心と愛を持って与るたった1度のミサ、たった1度のご聖体拝領にはそれ自体、私たちが一生涯のうちに祈りや犠牲によって神に捧げ得る何と比べても、限りなく大きな償いの価値が隠されているということを忘れないで下さい。

それは初聖体の子供にも当てはまります(写真56)。初聖体を受ける子供がどれほどの力を持ち、どれほどの恵みを所有していることか! パードレ・ピオ(写真57)は「原子ほどの大きさの恵みであっても、それには創造された全宇宙よりも価値がある」と、言われたことがあります。

秘跡を中心に置いた生活の計り知れない価値を思い出させるために、「婦人」は「ご聖体の奇跡の街」(アムステルダム)に来られたのです。

「世界は堕落の中にあります。諸国の民よ、主イエス・キリストがあなた方にお与えになった毎日の奇跡について考えなさい。あなた方が、毎日与れるように、主はそれをお与えになりました。あなた方が逸しているものを知っていますか? ……諸国の民よ、あなたがたの手本によって他の人たちを『主』のもとへ、日ごとの奇跡へ、日ごとの犠牲へと連れ戻しなさい」(1955年5月31日)

「贖罪」「償い」ということに関して、話すべき重要な事柄がまだあります。それは、互いにゆるし合い、和解すること。これもまた償いです!

和解への第1歩を踏み出すには、大きな勇気が必要なことがあります。これについては、皆さんも体験されていることでしょう。しかし、償いのこの具体的な方法は、ことの大小にかかわらず、家庭にも民族の間にも平和と喜びをもたらします。皆さん、考えてみて下さい、ひょっとして家族の誰かと(写真58)、あるいは同僚の誰かと不和な状態にないかどうか。そしてもしそういう状態にあるなら、和解するために皆さんの方から何ができるかを。

隣人愛を生きるということもまた、償いと感じられることがあります。なぜなら、本当の隣人愛とは、自己犠牲を要求するからです(写真59)。「婦人」は隣人愛について何度もお話しになりました。

「すると、世の中の小さな人びとは、私たちの愛で何ができるというのでしょう。私たち(世の中)を支配しているのは『大きな人たち』なのに……と言うでしょう。では、小さな人たちに申しましょう。もしあなたがたが極限まで互いに愛を実践するなら、権力者たちにチャンスはありません。あなたがたの十字架のもとへ行き、私が先に教えた祈りを祈りなさい。御子は聞き入れて下さるでしょう」(1951年2月11日)

特別に素晴らしい「贖罪」「償い」の方法があります。それは、人類に与え尽くされた愛のしるしである十字架、その十字架にキスをする(写真60)ことを私たちの子供たちに再び教えることです。

聖母はアムステルダムで、「御子と十字架、これが人びとが必要としているすべてです。世界の大人たちよ、あなたがたの子供たちに十字架に立ち返るように教えなさい」(1951年4月1日)とはっきりと私たちに願われています。

また、日常の犠牲を受け入れることや苦しみを忍耐強く担うことも償いです(写真61)。キリスト教徒もそうでない人も、信仰厚い人も信仰のない人も、すべての人が精神的、肉体的苦しみを知っています。望む望まないに関らず、生きていく上ですべての人が幾ばくかの犠牲を払わなければならないのです。しかし、十字架上のイエスを見上げることによって、私たちキリスト教徒は苦しみの意味を知ることができるのです。つまり、イエスの苦しみに自分の苦しみを一致させて犠牲として捧げるなら、私たちの苦しみにも「共に贖(あが)なう」という価値が与えられるということを知ることが私たちには許されているのです。

「愛」から生まれる犠牲的行為や、苦しみを神に捧げることは、例えば障害のある自分の息子に安心感をあたえているこのイタリア人の母親(写真62)のように、たいていの場合、心の中でまったく静かに行なわれます。しかし、それは、とてつもなく大きな霊的影響力と、他の人の心を回心へと変える力を秘めているのです。

残念なことに、こうしたことについてカトリック界ではもはやほとんど話されません。

時代にふさわしい宣教的な償いの形は、聖母のはっきりした望みを満たして、聖母のご絵と祈りの普及に努めることです(写真63)。償いをするということは、神への愛、人びとへの愛のために、自分自身を克服することをも意味しています。「すべての民の御母」のご絵を配った経験のある方なら誰でも、それが本当に自己克服を必要とするものだということをご存知でしょう。人に拒否されるというこの典型的な恐れを知らない人がいましょうか? 誰も好んで拒否されたくはないのです。特に、誰か側にいてその様子を見ている時はなおさらです(写真64)。しかし、「すべての民の御母」は私たちにこう願われています。

「この祈りが世界中に、すべての民族に行き渡るように心を尽くしてください。彼らには皆、この祈りを知る権利があります。世界は変わるということをわたしが保証します」(1951年4月29日)

「次のことをよく理解して下さい。主も、生まれるために母を必要とされました。母を通して命が生まれます。ですから婦人は再びあなたがたの教会へと、そして諸民族のもとへと連れ戻されなければならないのです。そうすれば、あなたがたは開花を体験するでしょう!」(1973年3月25日『ご聖体の体験』より)

<<世界活動の実例>>

「すべての民の御母」は、ご絵と祈りの普及を通して、人類を宗教上の誤謬と、モラルの退廃から守りたいと思われています。しかも、それだけではなく、すべての種類の災害からも保護なさりたいのです。

ここで大変印象的な事例をご紹介しましょう。今年の初めにアフリカはコンゴのゴマ市にあるニラゴンゴ山が噴火し(写真68)、ゴマ市は溶岩と地震による甚大な被害を被りました。自分の故郷に何年も前から「すべての民の御母」の祈りのカードを広めているコンゴ人のキツィト・ブリンディは、アムステルダムの「すべての民の御母」ご出現のチャペルに、信じられないような出来事についての報告を送って来ました。彼の手紙をそのまま引用しましょう。

「ゴマ市の中で、すべての民の御母のご絵を受け入れ、崇敬し、祈りを唱えていた家のすべては、今年の初めに噴火したニラゴンゴ山から流れ出た溶岩と、その後に起こった地震による被害を免れました。今や人びとはたくさんの祈りのカードとご絵、それどころかオリジナルの大きさのご絵までも要望しています。みんなは、すべての民の御母がご自身の祈りによって守って下さったことを確信しています。なぜなら、この祈りは、私たちを『堕落、災害、戦争から守る』ために与えられたのですから」

これは大変感動的な実例だとは思いませんか? 私は今年の4月、ゴマの司教、モンシニョール・ファウスティン・ヌガブ師(写真69)と、個人的に知り合う機会に恵まれました。

司教様は、この特別なご保護について聞き知っていることを私に証言なさいました。そして、私にご自分の連絡先を下さり、ご自身のために「すべての民の御母」の資料とご絵をお求めになりました。

<<国々での祈りの日々>>

アムステルダムで4回催された「国際祈りの日」の後、できるだけたくさんの国の人びとに「すべての民の御母」が知られる機会を作るために、過去2年間、各国においての祈りの日が催されました。

スイス、オーストリア、ドイツ、日本、スロヴァキア、イギリス、アイルランド、象牙海岸において、そしてフィリピンでと、各国での「祈りの日」は大変大きな実りを結びました。

フィリピン(写真70・71)では、昨年、特記すべき「祈りの日」が行なわれました。2人の枢機卿と23人の司教、教皇大使、副大統領、そして前大統領のアキノ氏も参加されたのです。新しく大統領に選出されたグロリア・マカパガル・アロヨ氏は「祈りの日」の前日に前代未聞なことをなさいました。

その日、シン枢機卿の祝典のために司教、政治家、外国からの来賓が大勢集まる中、大統領は立ち上がり、人びとの前で次のように言われたのです。

「閣下、私が差し上げたいメッセージは唯一この言葉です。『主イエス・キリスト 御父の御子よ、あなたの霊を今全地の上に遣わして下さい……』」

こうして大統領は「すべての民の御母」の祈りを最後まで唱えられたのです。これは特別な出来事と言えないでしょうか?

人びとが生き生きと情熱的に参加した陽気な「祈りの日」は、アフリカ象牙海岸の主都アビジャンでのことでした。マンジョ司教様は感激のあまり人びとの中に入って行かれ、自ら歌の指揮をなさいました(写真72)。

アイルランドの聖地ノックでは、去年に続き、今年の4月にも祈りの日が持たれました。大きな聖堂で行なわれた祈りの日には50人以上の司祭と、教会の推定によると、7000人もの参加者が各地から詰めかけました(写真73)。

ちょうど私は、「すべての民の御母」の宣教の大変豊かな実りのあったオーストラリアとインドネシアから帰ったところです。

オーストラリアの大都市(写真74)メルボルンとパースと、インドネシアの熱帯林の中に建つ住民の竹造りの小屋との間には、天と地ほどの違いがあります。「婦人」がそこで人びとの心に起こされた奇跡をご紹介しましょう。

これはオーストラリアで一番美しい町パースの大聖堂へ向けて行列をしている様々な国の信者たちです(写真75)。ミサの後、ジェームス・ヒッキィ大司教さまは聖母の汚れなき御心への奉献を新たになさいました(写真76)。

素晴らしい祈りの日が、メルボルンと、インドネシアの主都ジャカルタで催され、ミカエル・アンググア司教さまもボゴアから駆けつけられました。その後、聖母のご絵はフロレス島のラブアン・バジョに運ばれました。

「すべての民の御母」は、いたるところで大々的に迎えられました(写真77)。空港で待ち受けた受け取り役の人と他の大勢の人びとは、まるで婦人が生きている方であるかのように接しながら、盛大に歓迎しました(写真79)。

ラブアン・バンジョの次は10時間の山越えをし、ジャングルを抜け、もうひとつの沿岸にあるルテング司教区に着きました。途中の村々で、私たち一行は何度も立ち止らなければなりませんでした(写真80)。ラジオで「すべての民の御母」が来られることを聞きつけた島民が待機していたからです。

この写真の後ろに見えている家と土地は(写真81)イスラム教徒の男性の持ち物ですが、彼は喜んで場所を提供してくれました。その時私は、私が持っていた祈りのカードの最後の1枚をこのイスラム教徒に贈りました。その時の彼の喜びようといったらありませんでした!

「すべての民の御母」のオリジナルの大きさの御絵は花で飾られ、車に載せて運ばれていきましたが、御母に挨拶するために、車が通る道の右に左に次々に人が湧き出て来ました(写真82)。そのため、私たち一行はゆっくりと走らなければならず、予定よりも7、8時間遅れ、やがて夜のとばりが降りてきました。待っている人たちの多くは、自分達の前に祝別してもらうために水を張った容器を置いていました(写真84)。大勢の人が跪いて聖母が来られるのをお迎えしました(写真85)。

通りがかったある村では、現地の2人の兵士に引きとめられました。彼らは「すべての民の御母」のご絵を崇敬するために彼らの教会まで行列を行いたかったのです(写真86)。

私たちはさらに先に進みました。私たちの行く道にはまたもや人垣ができました。そのころはもう寒くなっていましたが、信者たちは忍耐強く待っていたのです!(写真87)

そして、ようやく私たちはロイテン市に着きました。8時間遅れでした。皆さんには恐らく信じられないでしょう。人びとはそこでもまだ待っていたのです!(写真88)

エドワード・サンスンS.V.D司教様もそこにいらっしゃいました。司教様はご自分で「聖母のご絵」に戴冠なさりたいばかりに、お待ちになっていたのです(写真89)。想像してみて下さい。夜中の2時ですよ。

次の朝、荘厳なミサが行なわれました。カテドラルに入りきれないほど人が集まりました。ミサには信者ばかりではなくイスラム教徒も参加していました。

その後、オリジナルの大きさの聖母のご絵は飛行機で100キロ先のマウメアに運ばれました。この時、私はアムステルダムのメッセージを思い出していました。

「私はすべての民の婦人です。この絵は国から国へ、町から町へ行かなければなりません」(1951年5月31日)

「ちょうど雪の一片ひとひらが地上に舞い下り、そして積もり、やがては厚い層になるように、この祈りと絵は世界中に広まり、全ての民の心に染み通っていくでしょう」

「まるで雪が溶けてひとりでに土に染み込んでいくように、祈りの実りである霊が、この祈りを毎日唱えるすべての人びとの心に訪れるでしょう」(1951年4月1日)

見ていただいたこれらの写真が、救いと平和のためのこの世界活動に参加、協力する勇気を皆様に与えてくれたことと思います。なぜならこの活動を通して、私たちは愛を込めて、一歩一歩、マリアを再び教会の中心に、神がお望みになる場所に、教会の母としてのマリアがいらっしゃるべき場所に、お連れすることができるのです。
当時、エルサレムで聖霊が降臨した際、マリアが母として使徒たちと共に聖霊の到来を願ったように(写真99)、教会の中心にマリアが再び戻られるなら、教会と世界に新たな聖霊降臨が起こるでしょう。「すべての民の御母」は、アムステルダムでそのように約束なさいました。このようなやり方で私たちがこれからやって来る新しい時代に協力するなら、未来に不安を持つ必要はありません。私たちの前には、マリアの時代、聖霊に満ちた時代があり、そこでは、人びとは再び安心し、完全な平和の中で互いに生きていくことができるのです。

願わくは、かつてマリアであられたすべての民の御母が私たちの執り成し手でありますように! アーメン!

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