祈る人びとの手が世界の歴史の舵を握っている

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歴史を動かしてきた祈りの力について(国際宣教会「マリアの家族」機関誌・『御心の勝利』誌[1995年]より抜粋)

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ルルドでのヨハネ・パウロ2世(1983)

Johannes Chrysostomos

* ロシア 1917年5月13日 モスクワ はじめて教会に冒涜が加えられた日

その日、教師マリア・アレクサンドワはモスクワの教会内で200人の子供たちにカテキズムを教えていました。突然、正面入り口のほうで大きな音がしたかと思うと、騎兵隊が乱入して来て大聖堂の中廊を走りぬけながら聖人のご像を打ち壊しはじめました。しまいには彼らの馬で子供たちを踏み潰しました。その際、何人かの子供たちが亡くなりました。
マリア・アレクサンドワは教会から転がり出ると、外に立っていた人に教会内で何が起こっているかを叫びました。その人はレーニン自身でした。彼は言いました。「知っていますとも。私が彼らを送ったのです」

10月革命:レーニン権力を握る

レーニンの最終目的: 世界革命

* ポルトガル 1917年5月13日 ファティマ 最初の聖母ご出現

「私があなたがたに言ったことを行うなら、多くの人が救われます。そして平和が訪れます。戦争は終結するでしょう」
1918年11月11日 第1次世界大戦停戦
「もし、神を侮辱することを止めないならば、ピオ11世の時代にもっと酷い戦いが始まるでしょう」

ピオ11世(1922-1939)の時代に第2次世界大戦勃発

* イタリア 1917年5月13日 ローマ

教皇ベネディクト15世、Eugenio Pacelli(後の教皇ピオ12世)をシスティナ礼拝堂(ミケランジェロの天井画で有名:訳注)にて司教に叙階。

* 1917年6月 フリーメーソンの大ロッジ、200年記念祭を祝う

フリーメーソンは、サンピエトロ大聖堂の窓の下に次の言葉を書いた垂れ幕を広げました。
「サタンはバチカンを支配するであろう。教皇はサタンの奴隷となるだろう!」
当時神学生であった聖マキシミリアン・コルベ神父は、この様子を目撃しました。
この出来事への返答として、1917年10月17日、コルベ神父は6名の司祭と共に「汚れなき聖母の騎士信心会」を設立しました。この会は「罪人と異端者、特にフリーメーソンの回心」を目的としています。この会の外面的印は不思議のメダイです。

* 1929年6月13日 ポルトガル

聖母はシスター・ルチアにこのようにお話しになりました。
「神のお望みである、教皇がすべての司教と一致してロシアを私の汚れなき心に奉献する時がやってきました。これが実現されれば、ロシアは救われるということを約束しましょう」

* 1930年

イエスからシスター・ルチアへの言葉
「彼らは私の願いを聞き入れたくはないようだ……。遅くなりすぎるかもしれない。ロシアはその誤謬を世界中に広める用意が整っている。それによって戦争と教会の迫害が起こるだろう。教皇は大いなる苦難を受けるであろう」

* 1931年5月13日 ポルトガルの全司教がポルトガルの国民を聖母の汚れなき御心に奉献する

1939年、シスター・ルチアは、J. Aparico神父にこのように書き送りました。
「私たちの主は、第2次世界大戦中、ポルトガルを特別に保護することを約束なさいました。これは恵みの証明であり、しるしです。もし、他の民族が同じように聖母の汚れなき御心に奉献するのなら、同じ恵みが与えられます。」
(1941年1月10日のヒトラーのポルトガル侵略計画は、聖母のご保護によって阻止されました)

* 1936年

次は、シスター・ルチアが聴罪司祭へ宛てた手紙からの抜粋です。
「私は主に伺いました。なぜ主は、教皇様に要請なさった奉献なしにロシアを回心させることをなさらないのかと。主はこのようにお答えになりました。
“なぜならば、私は私のすべての教会が、この奉献を母の汚れなき御心の勝利として認識し、この崇敬を私の神的な心の崇敬と合わせて増してほしいからだ。教皇は奉献を行うであろう。しかし、遅すぎるだろう。それでもなおマリアの汚れなき御心はロシアを救うであろう。ロシアの救済は、マリアの汚れなき御心に任せてある”
シスター・ルチア「主は大きな罪についてだけではなく、主のお望みに対する私たちの無気力、不熱心さについても嘆いておいでになります」

* 1938年 北極光、ヨーロッパを覆う

「ある夜、未知の光が闇を照らすのを見たら、戦争にともなう悪行、飢餓、教会と教皇が受ける迫害の、神があなた達にお与えになった大いなるしるしと知りなさい。」
(1917年7月13日、ファティマの聖母のメッセージ)

1月25日、ギリシャからノルウェーまでの全ヨーロッパの天空に、不思議な明るい北極光が見られました。ある気象庁は「天はまるで血の色に燃えるかまどのようであった。光は濃い赤色から紫色に変化した」と報告しています。
この事実についてシスター・ルチアはピオ11世教皇に次のような手紙を書きました。
「これは聖母がお約束された大いなるしるしです。間もなく戦争の火蓋が切って落とされることを私は確信しています。むごい、なんとむごい戦いとなるでしょう!」
そしてシスター・ルチアは、汚れなき御心への奉献を再び懇願しました。

* 1941年12月2日

シスター・ルチアからピオ12世教皇への手紙:
「1929年に聖母は再びご出現なさって、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献するようにと願われました。イエスはいつもこの奉献を要求なさいます。
もし、ロシアのこの奉献をあなたたちの教皇が遂行するならば世界大戦は縮められる、と最近イエスはお約束なさいました。この奉献は世界中の司教がたが教皇様と一致して執り行わなければなりません」

* 1942年 教皇ピオ12世、全教会と全人類をマリアの汚れなき御心に奉献

10月31日、教皇は全教会と全人類をマリアの汚れなき御心に奉献し、ポルトガル国民に対してラジオ演説をなさいました。また、12月8日にはサン・ピエトロ大聖堂において荘厳に奉献を更新なさいました。

* 1943年

シスター・ルチアはこう書いています。
「主は間もなく戦争が終結することを約束なさいました。奉献が完全ではなかったのでロシアの回心は延期されました」

* 1954年 教皇ピオ12世、ロシア民族をマリアの汚れなき御心に奉献

シスター・ルチア
「1942年10月31日にピオ12世教皇様の遂行なさった奉献は、世界のすべての司教がたと一致してという部分が欠けていました」

*1984年 3月25日 ローマ ヨハネ・パウロ2世教皇、全司教団と一致して全世界とロシアをマリアの汚れなき御心に奉献

「すべての司教が招待に応じなかったとしても、神は彼らの代行者によってこの奉献をお受けになりました」とシスター・ルチアは確証しています。

1985年 ソビエト連邦において「ペレストロイカ」始まる

* 1989年 10月13日

クレムリン宮殿のかつてのマリア大聖堂において72年間ぶりに ミサ聖祭が執り行われる

* 1989年11月9日 ベルリンの壁、崩壊

シスター・ルチアは1990年にこう話しています。
「この出来事は東側とロシアにおける、もっとも新しい神の介入であると信じます」


「あなたがたの祈りによって試練が緩和されても、それは避けられないでしょう。真実の教会の刷新はこれによってのみ行われるのです! キリストと神の御母のうちに強くありましょう。そして準備をしましょう。ロザリオを祈りましょう!」
(ヨハネ・パウロ2世教皇・1981年フルダにて)

1943・44年、ライラの司教への従順によって、1960年以前に公にされないという条件つきで、シスター・ルチアはファティマの第3の秘密について書き記しました。

1958・59年 この文書はローマに届きました。ヨハネ23世教皇とオタビアニ枢機卿はこれを読み、教皇庁の保管所に保管する決定をしました。

「あなたがたの誰もが、ファティマで予告された差し迫っている新しい時代を感じ取っていると私は確信しています。最後には汚れなき御心が勝利します。新しい時代には善人が悪人に勝つでしょう。ですから共贖者は、今までにないほど世界に回心を呼びかけているのです。奉献を通して聖母は神の御国が来ることを準備してくださいます。天の御母の呼びかけに応えるすべての人は、待ちに待った救いを得るでしょう」


ニリッツァ司教 1995年、四旬節の手紙より

今世紀には数多くの預言が与えられました。テレサ・ムスコも預言を受けた霊魂の1つです。1952年、聖母はテレサ・ムスコにファティマ第3の秘密について幻視をお与えになりました。
テレサは9才でした。彼女は自分の命を教会の刷新のために差し出しました。聖母が大きな戦争について予告なさった後、こうお話しになりました。
「私の娘よ! 御父は今世紀の後半に大きな罰を全人類にお下しになります。そのことをあなたに言うために私はやって来ました。娘よ、サタンは最も高い地位の中で統治していることを知りなさい。もし、サタンが教会の高位の地位に到達したなら、偉大な科学者たちの霊を惑わすのに成功するでしょう。そして、大勢の人間を破壊することのできる武器を使用するのは間もなくのことでしょう。1972年にサタンの時代が、そして大きな試練が始まるでしょう」

(1995年「御心の勝利」誌より抜粋)

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