TOTUS TUUS(すべてあなたのもの)

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ヨハネ・パウロ2世教皇様とファティマの関わりについて(国際宣教会「マリアの家族」機関誌・『御心の勝利』誌[1995年]より抜粋)

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ファティマの聖母

「私たちは近づいている大きな試練のために準備しなければなりません。試練は、私たちの個々の生活における犠牲の要求でもありえます。キリストへの私たちの完全な献身が必要です」
(教皇ヨハネ・パウロ2世 フルダにて 暗殺未遂事件の半年前)

聖母からシスター・ルチアへ 1917年6月13日
「たくさん苦しんでいますか? 私の子よ。勇気を失ってはなりません!
私は決してあなたを見放しません。私の汚れなき心はあなたの避難所となるでしょう。そしてあなたを神へと導く道となるでしょう」

聖母、ファティマにて 1917年7月13日
「人びとが私の願いを聞きいれないなら、ロシアはその誤謬を世界中に広めるでしょう。そして教皇は大変苦しむでしょう」


*暗殺未遂事件 ローマにて 1981年5月13日

この言葉に人びとはほとんど注意を払いませんでした。第2次世界大戦が勃発しました。こうして最初の預言は成就しましたが、しかし、聖母の依頼を真剣に受け止めたのはほんの少しの者だけでした。1981年5月13日、世界中が驚かされることになります。
17時17分、サンピエトロ広場で一般謁見の際、教皇は Ali Agca によって撃たれ、重傷を負わされたのです。
この暗殺がファティマの最初のご出現記念日であったことは偶然ではないでしょう。教皇はこのことを入院中に理解なさいました。病院で教皇は聖母のメッセージを深く学ばれたのです。ご自身と教皇職を TOTUS TUUS というスローガンと共に完全に聖母に奉献なさっている教皇は、ファティマのメッセージを完全に実現し、全人類を聖母の御心に奉献するように導くために、神のみ摂理によって選ばれたのです。
「生と死の間をさまよったこの3ヶ月の間に、無神論と新しい戦争、そして大災害から救われる唯一の方法は、ファティマのメッセージが示すようにロシアの回心であることを私は認識しました」

ニリッツァ司教はこのように説明しています。
『私が教皇様の朝食に招待された時のことです。私たち招待された者たちの中で、教皇様を撃った男のことが話題に上りました。話はブルガリアやロシアのKGBにも及びました。教皇様は静かにコーヒーを飲んでおいででしたが、突然おっしゃったのです。
「サタン!」
……驚きました。それまで誰もその可能性を指摘することを避けていたからです。それから、教皇様は静かに付け加えられました。
「しかし、サタンも神のみ手の道具であることにかわりはありません」と』

暗殺未遂から半年後、教皇はこうお話になりました。
「一つの手が弾を放ち、もう一つの手が弾を誘導しました。」

*ファティマにて 1982年5月13日

事件の1年後の1982年5月13日、教皇ヨハネ・パウロ2世は命を救っていただいたお礼にファティマに巡礼をなさいました。教皇を殺すはずだった弾は、ファティマのオリジナルの聖母像の冠にはめ込まれました。この巡礼の際、教皇は世界を汚れなき御心に奉献する行為を更新なさいました。
「あなたは、様々な方法としるしで付き添い、私たちを死の権力の前から守って下さる命の御母であられます。あなたはいつも私の御母でした。特に、援助して下さるあなたの現存をはっきりと感じさせていただいた、あの1981年5月13日以来……。教会の新しい宣教活動の必要を顧み、私の教皇職を見守って下さい。福音と人々に仕える私の勤めを見守って下さい」(奉献の祈りより)
*「なぜ、あなたは死ななかったのですか?」
1983年12月27日に教皇が牢獄に暗殺未遂犯人を訪ね、赦した時のことです。Ali Agca はこのように教皇ヨハネ・パウロ2世に挨拶をしました。
「私は正確に狙い、撃ちました。弾は殺す威力があったことを私は知っています。ファティマと呼ばれているものは何なのですか?」

*どのように事は起こるべきか?

教皇が退院された後、ポール・ニリッツァ司教はファティマの聖母像を進呈しました。ちょうど暗殺未遂事件があった時にファティマにいたドイツの巡礼者が、教皇へのプレゼントとして運んできた像です。
「私が教皇に御像を進呈した時、教皇は聖母のみ頭に冠をお載せになり、口づけをして、『TOTUS TUUS ‐すべてあなたのもの』とおっしゃいました。
ニリッツァ司教は教皇の方に向き、言いました。
『あなたが教皇職にある時、ロシアの回心が起こらなければなりません』
教皇は長い間沈黙なさり、像の前で祈り続けられました。そして言われました。
『どのようにして実現されるだろうか?』
『あなたは神のみ摂理によって、すべての司教方と一致して、ロシアをマリアの汚れなき御心に奉献するために選ばれたお方です。世界の平和はこれにかかっています。なぜなら、ロシアの回心はサタンに対する勝利だからです』」
しばらくして、教皇は聖母像をポーランドへお持ちになり、ロシアとの国境の側に小聖堂を建てられました。

*1984年3月25日 教皇、聖母の要望に応える

聖年の最後に、教皇ヨハネ・パウロ2世は、サンピエトロ広場において昼のアンジェラス(お告げの祈り)の際に、全世界をマリアの汚れなき御心に奉献なさいました。教皇は全世界の司教に、あらかじめ1通の書簡にて教皇と共にこの奉献を実行するように要請していおいででした。

「ああ、人類と民族の御母よ、
聖霊の御働きによって、あなたの御心に直接呼びかけている
私たちの叫びを聞いて下さい。
母であられる、主のはしためであられるあなたの愛で
私たちの世界を包んで下さい。
人類と民族の、地上での平安と永遠の平安への
憂慮で満ち溢れる私たちのこの世界を、あなたに委ね、奉献いたします。
とりわけ、この委任と奉献を特別に必要としているあの人びとと国民を
あなたに委ね、奉献します……」


シスター・ルチア、1992年のインタビュー

「教皇様がお読みになった1984年の奉献文の”この委任と奉献を特別に必要としているあの人びとと国民をあなたに委ね、奉献します。”……の部分はロシアのおつもりでした。
神は、教皇様がロシアに関して奉献する意向だったことをはっきりとご存知でした。
聖母が私たちに願われたことで未だに欠けているものがあります。それは私たちの心、私たちの共同体、家族の奉献です」

(1995年『御心の勝利』誌より抜粋)

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