以下は、2020年12月30日にハーレム-アムステルダム教区ヨハネス・ヘンドリックス司教様が「見解書」と合わせて出された「 An explanation and a pastoral word to the clarification 」の日本語訳です。
どうぞ「見解書」もお読み下さい。
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すべての民の御母としての聖母マリアへの崇敬は良いもので、価値あるものです。しかしそれはメッセージやご出現から切り離されたものでなければなりません。教理省からメッセージやご出現は認可されていないのです。これが、最近国の内外で様々な記事が出回ったことを受けて、教理省との話し合いの上で出されることになった見解書の核心です。
ここに提示されている見解書は、最近の新聞による報道や質問に関して、私が教理省と話し合った、その結果です。
御絵や祈り――祈りは必ず2005年に教理省によって認められた形において――を使うことは許されています。すべての民の御母を讃える祈りの日を催すことも可能です。ただし、教理省から認められていないメッセージやご出現に言及しないという条件においてのみです。
メッセージやご出現に、暗黙の認可があると理解されるようなことも避けなければなりません。教理省はこれに関してすでに否定的判決を下しており、教皇パウロ6世がその判決を認めているからです。こうした事情は多くの人にとって初耳でしょう。つまり2002年プント司教がご出現の真実性について意見表明をした時、知られていたのは、1974年の通知だけだったのです。80年代に私の前任者は、この崇拝を許可することを可能だとみなし、1996年についにボーマス司教が許可への決断を下しました。
教理省の同意を受けたこの見解書の中で、この称号において聖母を崇敬することが許可されており、崇敬を評価する言葉が見られるということは、すべての民の御母の崇敬に関わっていると感じるすべての人にとって良い知らせです。
しかし多くの信者の方々にとっては、教理省と教皇パウロ6世がご出現に対して否定的な判決を下したということは、とりわけ大きな痛みでしょう。その落胆は理解できますと皆に伝えたいと思います。ご出現とメッセージは多くの人の心を動かしてきました。すべての民の御母の称号の下での聖母の崇敬がこれからも許されていることは、彼らにとって大きな慰めでしょう。アムステルダムのチャペルでもですし、私自身過去何度も参加してきた祈りの日でも引き続き崇敬できます。
主が教会を導いておられ、見捨てられることはないという信頼を持ちつつ、私たちは教会の判決へ従順を示さなければなりません。しかしそれが聖母への私たちの愛、すべての民の御母への愛を妨げることがあってはならないのです。
主は十字架で私たちを聖母に委ねられました。その聖母への愛が、良き時にも悪しき時にも私たちの中でひたすら強くなることを心から願うばかりです。「婦人よ、見なさい、あなたの息子です。」(ヨハネ19・26)見なさい、ここにあなたの子供たちがいます。あなたの庇護のもとへと私たちは避難します……。
2020年12月30日 ハーレムにて
ハーレム-アムステルダム教区長
ヨハネス・ヘンドリックス
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= 参考サイト =
・ すべての民の御母 公式サイト [英語]