以下は、2020年12月30日にハーレム-アムステルダム教区ヨハネス・ヘンドリックス司教様が出された「 Clarification by the Bishop of Haarlem‐Amsterdam regarding the Lady of All Nations 」の日本語訳です。
併せて出された「すべての民の御母に関する見解書への説明と司牧的講話」もお読み下さい。
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教理省と話し合い、その同意を得た上で、私は以下のように表明します。
すべての民の御母、聖母マリアへの奉献を通して、聖母の執りなしと助けのもと、多くの信徒が人類の普遍的な友愛に希望をかけ、そのために努力しています。
「マリアは私たちの母です。すべての民の母であり、私たち皆の母です」(教皇フランシスコ、2019年12月12日の説教)。そして聖母は、皆が互いにもっと兄弟姉妹であるよう、ますますそうなるようにとの神のご計画と望みに私たちが協力するよう、招いておられます(教皇ベネディクト16世『回勅 真理に根ざした愛』参照)。
教皇フランシスコは、その回勅『Fratelli tutti』の中で次のように書いておられます。「多くのキリスト教徒にとって、この友愛の旅には、マリアという名の母が付き添ってくださいます。マリアは、十字架の下で普遍的な母としての役割を受け入れられ(ヨハネ19・26)、イエスだけでなく『他の子供たち』をも心にかけてくださっています(黙示録12・17)。マリアは、復活された主の御力によって、新たな世界を生もうと望んでおられます。そこでは、私たち皆が兄弟姉妹であり、私たちの社会に捨てられた人びとすべてのための場があり、正義と平和が輝くのです」(n.278)。
こうした意味において、マリアに対して『すべての民の御母』という称号を使うことは、神学的に許されます。マリアと祈ること、私たち諸民族の母であるマリアの執り成しを求める祈りは、お互いを兄弟姉妹とみなす一つになった世界が育つことに貢献するものです。私たちはみな、共通の御父である神様の似姿として創造されているのですから。
称号の認可はしかし決して――たとえそれが暗黙という形であっても――そのもとになった諸現象の超自然性の認可と理解されてはなりません。この点に関して、教理省はイーダ・ペアデマンが受けたと称するところの「ご出現と啓示」の超自然性に対する否定的判決を、1974年4月5日教皇パウロ6世の承認を受けた後、1974年5月25日に公にしています。その判決文では、すべての民の御母のいわゆる「ご出現と啓示」に関するあらゆる普及を中止するよう、すべての人に要求されています。このことから、御絵と祈りの使用する際、これらの出来事の超自然性が認可されているとみなされることは、決してあってはならないのです――それがたとえ暗黙のうちにであったとしても――。
「婦人」や「すべての民の御母」など単なる称号に関しては、それらがいわゆる「ご出現」の認可とはっきり切り離して使用される限りにおいては、その使用を教理省は一般的になんら否定していません。おとめマリアがそのような称号で呼ばれるとき、司牧者や信者は、その崇敬がどのようなものであっても、決して「ご出現」や「啓示」を示唆することがないように――暗黙のうちにも示唆することがないように――しなければなりません。
2020年12月30日
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= 参考サイト =
・ すべての民の御母 公式サイト [英語]